Xe-EDM collaboration

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研究内容

電気双極子モーメント - 物質世界の成り立ちを解き明かすひとつのカギ

私たちは母親のおなかから生まれ出てから次第に、自分のまわりに空間が拡がり、その中で物体が自分を取り囲んでいることを認識するようになります。これらの物体たちは(生き物や人間、それに自分自身の身体さえも含めて)一体どのようにして成り立っているのでしょうか。この疑問は、ひとが生まれ落ちて以来ずっと意識的・無意識的に抱え続けるものではないでしようか。自然科学は(そして特に、物理学は正面から)この人類の疑問に答えようとしてきました。

古代の自然哲学から最新の大型加速器を用いた研究に至る、これまでの成果を総合すると、どうやら物質の世界は12種の物質素材粒子(フェルミ粒子)と4種の相互作用媒介粒子(ボース粒子)、そしてこれらの粒子の間を取り持つ背景粒子(ヒッグス粒子)からなり立っているようです。

でも、この考え(素粒子の「標準理論」)で全てうまくいくのでしょうか。残念なことに、答えは「NO」なのです。第1に、観測結果によると上に挙げた標準理論の粒子たちは宇宙にあるエネルギーのたった5%にしかあたらず、残りの95%は標準理論に現れない粒子かほかのかたちのエネルギーであることがわかっています。第2に、宇宙がビッグバンで創られたとするならば物質と反物質が同じ量だけ存在するはずですが、実際にはこの宇宙は主に物質でできており、粒子と反粒子の間の対称性(CP対称性)が大きく(標準理論の予言の10億倍!)破れていることになります。第3に、そもそも標準理論には、その中で自然に決まるのではない、外からインプットしてやらねばならないパラメータがいくつも含まれており、他にもっと基本的な理論が存在して標準理論はそこからある種の近似として導かれる「有効理論」なのではないか、と思わせます。以上のような事情から、多くの物理学者が標準理論の奥に、上述の粒子以外の種類の粒子を含む、大きくCPの破れた基本的な理論(theory Beyond the Standard Model; BSM理論)が存在すると予測し、その証拠を探そうとしています。

さてここで、粒子が持つ観測量の一つとして、電気双極子モーメント(Electric Dipole Moment; EDM)が脚光を浴びることになります。EDMは、スピン(粒子の自転を表すベクトル;その回転で右ねじが進む方向を向き、回転速度に比例した長さをもつ)に付随して自発的に(外部電場に誘発されてではなく)生じた電気分極のことで、スピンと同じ方向を持ちその大きさは分極電荷の値とその正負間距離との積でe・cmの単位で表されます。EDMはその定義自体からして、CPを破ります(図1)。しかも標準理論(標準理論もその中に小林-益川行列の複素位相からくるCPの破れを内包していますが)のタイプのCP破れでは高次の過程でしかEDMは生じません。事実、標準理論に基づく計算ではどの粒子も観測にかかるほどのEDMを持つことができないことがわかっています。もし実験で、ゼロでない大きさのEDMが見つかったとしたら、それは標準理論を超えた物理が存在することの紛れもない証拠といえます。このように、EDMという観測量は、まさにBMS物理の存在/非存在のバロメータなのです。

図1. EDMは時間反転不変性を破る。このことは同時に、EDMがCP対称性を破ることを意味する

EDMについての研究は現在、スピンをもつ様々な粒子 - 中性子、反磁性原子、常磁性原子、ミュオン、陽子・重陽子 - を対象に世界で探索実験が実施または計画されています。理論的にも検討が進められ、これら異なる粒子のEDMがそれぞれどのような新物理に感度を持っているのか、それらの実験データが得られた時どのような解析をすればよいのかもわかってきました(図2):各BSM物理が生み出すCP非保存相互作用は低エネルギーでは限られた個数のパラメータで表され(図2のglobal parameters; 主なものはde, dN, , , CT, CS)、これらのパラメータはハドロン物理・核物理・原子物理の過程を通じて様々な粒子にEDMを生じさせます。これを逆に辿ると、測定されたEDMからglobal parameterの値が求められ、その値がBSM物理の存在の証拠を与えることになります。ここで注目されるのは、充分な数の粒子に対してEDMが実験的に決定されれば、いずれのBSM物理が実際に現れるかを判別する道が拓かれることです。中性子EDMの上限値は|dn|<2.9x10-26e・cm、反磁性原子では129Xeで|d(129Xe)|<6.7x10-27e・cm、199Hgで|d(199Hg)|<7.4x10-30e・cmが報告されています。レプトンでは、電子で|de|<8.7x10-29e・cm、ミュオンに対して|dμ|<1.8x10-19e・cmです。電子EDMの測定精度が高いものの、反磁性原子199HgのEDMの精度はもっと高く、これまで測定の対象となった粒子の中でも最高のものとなっています。反磁性原子のEDMは3つのパラメータ , , CTから生じます。実験からこれら3つを決定するためには、他にTlFの実験結果を用いるとしてももう一つの原子に対する精度の高いデータが必要です。電子のEDM(つまるところ常磁性原子のEDMのことを意味しますが)の起源が比較的限られているのに対して、反磁性原子のEDMはハドロンセクターに現れるBSM物理に大きく網を広げていることがわかります。反磁性原子のチャネルで、3つのglobal parameter , , CT を高精度で分離決定することは極めて重要です。

図2. 標準理論を超える物理から生じるCP非保存ダイアグラムと様々な粒子のEDM

以上の状況から、本研究では反磁性原子129XeのEDMを、高精度のHgと組み合わせてglobal parameterを決定するに見合う精度で測定することを狙います。実験的には、安定核129Xe及び131Xeからなる希ガス原子Xeを対象とするので、ガラスセル内に封入した巨視的な量(数百Torr×数cm3)を用いることができます。希ガス中の核スピンは緩和時間が長くでき(数十秒以上)、光ポンピングしたアルカリ原子とのスピン交換過程を用いて大きく(数十%の程度に)スピン偏極させることが可能です。図3に本研究が用いる外部フィードバック型核スピンメーザーの動作原理を示します。

図3. 外部フィードバック型スピンメーザーの動作原理